発達障害の概念はおいといて、アセンダントから息子の個性を考えてみる
こんにちは!
息子は発達障害の疑いあり
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治る方法を模索
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自分なりの答えを見つける!
↓
自分が病みまくって実行に移せない
↓
まずは私が自分の人生を生きることを決意することに至る
というカオスな状況のゆまりです('Д')
前々回のブログで西洋占星術に興味を持ったことを書きました。
私が西洋占星術を学ぼうと思った一番のきっかけは藤原悠馬さんのブログを読んでからです。
元々は生化学講師をされており、私にはさっぱりな超科学的なことを扱われていらっしゃる方です。
大衆の意見やマニュアル、権威ある人等々に左右されず、ご自身の力で真実を追求されていらっしゃる、めちゃくちゃすごい人です。
私は西洋占星術をブログにまとめられるほど理解していないので、藤原悠馬さんのブログを参考リンクとして貼らせていただきます。
まずはこちらを参考にホロスコープチャートというものを出してみてほしいです。
ホロスコープチャートの出し方【占星術ブログ①】 | 藤原悠馬ブログ | 自然の法則とカラダをつなげる学びの場 - honoiro
藤原さん推奨のサイト以外にも、「ホロスコープ」で検索すればチャートは結構簡単に出せると思います!
西洋占星術は本来であれば、最初から順序だててしっかり話そうと思うと、1日あっても足りないくらいの情報量があります。
突き詰めて勉強しようと思えば何年たっても足りなさそうです。
ですが、とりあえず星座とかハウスとか基礎的なごちゃごちゃしたことは置いといて、
※アセンダントを知るためには正確な出生時間と出生場所の情報が必要です。
アセンダント? は? ザビアンシンボル?? はぁぁー??
って感じだと思うので、まずは2つの用語の説明を超簡単にします。
アセンダントというのはですね、ホロスコープチャートの円の一番左側にACとかASCと表記されてるやつです。
また藤原さんのブログを張り付けさせてもらいます。
ハウスとアセンダントの理解は重要【占星術ブログ④】 | 藤原悠馬ブログ | 自然の法則とカラダをつなげる学びの場 - honoiro
以下、藤原さんブログからの引用ですが、アセンダントについて・・・
・生まれた時に与えられ、他者ありきの自己が形成される前から原始的に持っている個性であり、それは大人になっても不随意的に継承されます。
・当たり前のように生まれた瞬間からそなわっている性質なので、本人は無自覚なことも多いです。本人が見えていない無自覚さの影響もあり、広範囲にすべての行動の原因を作り出しているのがアセンダントです。
・アセンダントは「生まれ持っての性格」、「一生不変の個性」と表現できます。
とのことです!!
アセンダントに影響を与える他の要因もありはしますが、まずは深く考えすぎず、このアセンダントから、息子の「個性」を自分や社会の色眼鏡ではなく、「西洋占星術」的に考えてみたいと思いました。
次にサビアンシンボルについてです。
サビアンシンボルというものもですね、深く考えず検索すれば良し!!笑
息子の場合はアセンダント(ACまたはASC等と表記があります)天秤座10度です。
サビアンシンボルの度数は、その度数に1を足して調べます。
なので息子のアセンダントのサビアンシンボルの度数は天秤座11度。
「天秤座11度」で検索すると、サビアン度数の説明がまあまあヒットします。
「すたくろ」さんというサイトがおすすめ、というかネットでサビアン調べるなら誰しも見たことがある有名なサイトです。
ただ、解釈の仕方には幅があり、他のサイトと照らし合わせていくのも良いかと思います。
Code no.191 天秤座11度 眼鏡ごしに覗き込んでいる教授 | すたくろ 〜star-clock-work 〜 (sutakuro.com)
以下、息子のアセンダント天秤座11度について、すたくろさんからの抜粋です。
◎シンボル名 眼鏡越しに覗き込んでいる教授
(自分のフィルターを外し相手目線で聞く伝える・コミュニケーションの達人)
◎この度数の人の特徴
・知性的で尊敬される人柄。知識人。
・指導者や先生などに適性がある。
・居心地のいい人。楽しいコミュニケーションが出来る。
・聞き上手の話し上手。理解力にあふれている。
・公平で平等精神にあふれた人。
とのこと!!
発達専門医や心理士さんからはアスペルガーっぽいと遠回しに言われてましたが・・・
真逆のことが書かれている!!
だからといって、
「西洋占星術的に、息子はコミュニケーション力が高いはずなので、発達障害ではありません」
なんて短絡的に解釈するなんてことはしませんよ!!笑
あくまでも息子の個性を考える上での一つの視点・指標であり、それが全てではない。
そこから自分の頭で考えていく。
息子が上記のような資質を持っていても、それが発揮できていない原因が、発達の遅れにあるのかもしれない。
テレビ等左脳を極端に刺激するようなものを控え、身体を育てたり、自然と触れ合わせたり、たくさん経験を積むことで、アセンダントにあるような資質を発揮していくことができるかもしれない。
と考えることもできます。
または、アセンダントの資質を持ちながらも、発達に凹凸がある可能性もある。
コミュニケーションの中でも、言語コミュニケーションがスムーズにできても、非言語コミュニケーションは苦手という可能性もある。
知性的なやりとりができても、情緒的なやりとりは難しい可能性もある。
あとは怖いとか恥ずかしいとかネガティブな感情によって何かに苦手意識を持ってしまう経験がある等、心理的な要因から資質を発揮できていないということなんかも考えられると思います。
色々な視点から息子の可能性を考え、思い込みや決めつけを持たずに息子を育てていきたいと思っています!
まずは発達障害は「先天的な脳の構造上の問題で、特性は薄れることはあっても生涯にわたり消えることはない」という捉え方は止めた方がいいと思いますね。
このあたりは科学的にも否定されているので、また今後記事にしたいと思います。
西洋占星術は本当に奥深く、アセンダント以外にも見るポイントが山ほどあるので、そのあたりも組み合わせる必要があります。
奥深すぎて先が見えませんが、勉強していくことで、人には様々な資質があることが学べます。
私は少し勉強しただけですが、視野がぐっと広がりました。
引き続き、自分が自分の人生を生きることができるよう、そして子育てにも生かせるよう西洋占星術を学んでいきたいと思います!
疑問や違和感が残るなら、辛いなら、変わりたいなら、今のスタンダードな医療・福祉以外の視点を取り入れる
こんにちは!
息子は発達障害の疑いあり
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治る方法を模索
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自分なりの答えを見つける!
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自分が病みまくって実行に移せない
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まずは私が自分の人生を生きることを決意することに至る
というカオスな状況のゆまりです('Д')
前回の記事で、現状打破するために、西洋占星術を学び始めたということを書きました。
なぜ俗にいう「占い」に辿り着いたのか、その経緯をもう少し詳しく文章に残したいと思い、今回の記事を書きます!!
西洋占星術は医療や科学等の最新の研究を扱われているような方々も注目されており、 私の中でも占いではなく、学問として成り立つ精巧なロジックであると認識が変わりました!
我が子が発達障害の疑いがあると言われた時、医療や福祉の方々から発せられた言葉から感じたのは、「マニュアル的にこうなってるので!お子さんチェックリストにあてはまってるので!ああだこうだいわずとりあえず受容してスタンダードな支援の流れへどうぞ!」って感じで、なんだか他人事でやっつけ仕事だなということ。
そして「お母さんよく頑張ってますよ」「何でも言ってくださいね」なんて優しい言葉を使ったりオープンな雰囲気を作ってくれはするけど、それは私や息子のためではなく働く上での自分を守るため?保守的な感じが強いような。
逆にすごく疎外感を感じ、とてもこれ以上その人に頼りたいとは思えなくなってしまいました。
こういう経験をして、「私も今までそうやって働いてきた」と気づいたんです。
厳密に言うと気づくきっかけを色んな方から与えてもらいました。
自分一人で気づけるほど賢くなかったですね^^;
私は元々看護師として働いており、スタンダードな治療以外の、民間療法であるとか、精神論?スピリチュアル?的な考えで病気や身体の不調を治すという発想に対してはとても否定的でした。
否定的というか、「あり得ない」「自分には関係のないもの」として眼中にありませんでした。
何よりも、科学的に立証された上で作り上げられている最新の医療が正しいに違いないと信じて疑いませんでした。
とりあえず医師や先輩看護師に言われた通りやる、自分の責任にならないようにわからないことは無難にやり過ごす、という感じで突き詰めて自分の頭を使って勉強することはありませんでした。
でも、重症患者さんのケアだとか急変時の対応ができるようになるとか、難しい医療用語さらっと言えちゃうようになったりだとか経験が増えていくと、なんだか自分が有能に思えてきていました。
だから、どこかで自分が属するスタンダードな医療以外の世界を見下していたと思います。
スタンダードな医療のマニュアルに沿わないことを言う人はめんどくさい、あしらっておけばいい、という感じで相手にせず、ちゃんと「情報の真価」を考えなかった。
相手に聞こえの良い優しい言葉をかけていたけど、それは本当の意味で相手の心に寄り添っていたのではなく、そう言っている自分が立派に感じられたから。
書いていて情けないですね。
でも、医療・福祉等資格を取って雇われて働く職業の人ってこういう人かなり多い気がしています。
一方、昔の自分が見下していた、大きな組織に属さず自分の力で民間療法と言われるようなことをされている方々の場合。
人に言われた通り、マニュアル通りではなく、自分の頭を使って、経験とすり合わせて、「情報の真価」を問われている方が多いような気がします。
もちろん一概にはいえないんでしょうけど。
多数派であることで安心し、今のスタンダードを信じてきた私が、そうでない情報を取り入れていくことは本当に本当に怖かった。
でも自分の頭でちゃんと考えた時、今の医療・福祉のスタンダードな視点だけから子育てしていくことはもっともっと怖くなりました。
自分の思い込みや偏見を外して、フラットに物事を見て考えていきたい!
まだまだ思い込みや偏見にとらわれやすい私ですが、少しずつ変わっていきたいと思っています。
子育てに、自分探しに、人生に、あれを取り入れて前進できた!!
かなり久しぶりのブログ更新になりました。
ゆまりです(^^)
ゆまりって名前、自分の好きなものをもじって考えた名前だけど、
「おしっこ」って意味らしい・・・笑
タイトル、アクセス数増やそうとしてる系な感じになってますが、
そうではなく、タイトルに「あれ」の部分をそのまま入れてしまうと、
スルーする人が多いかもと思ったから。
でも個人的に激推しのことなので、数少ない読んでくださる方に、先入観なく「あれ」について知っていただきたいのです!!
それは・・・
西洋占星術 です!!
ででーん!!
はい、俗にいう星占いですね。
占いって娯楽としてはありだけど、
「子育てに、自分探しに、人生に、占いを取り入れて前進できた」なんてタイトル、
うさんくさすぎますよね~
私自身も元々占い好きでもなく、大衆の意見やら科学的根拠やらその辺重視でやってきた人間です。
でも子育てをきっかけに、他人軸で生きづらい自分、幼少期の影響を受けた思考や行動のくせがある自分、などなどに気づき、病みに病みまくっている時に西洋占星術との出会いがありました。
周りの目ばかり気にして生きている、恥ずかしいことしたくない、皆と同じで安心感が得られるような私が、まさか俗にいう占いにはまるなんて、自分でもびっくりです。
西洋占星術は占いのくくりではあると思いますが、今は学問の1つではないかと思ってます!
数年前の自分が、育児で病んでる友達が占いにはまったなんて聞いたら、おそらくやばいやつ認定してたでしょうね・・・('Д')笑
そんな私がなぜ西洋占星術を学び、様々なことに取り入れ始めたかというと、
ざっくり言うとですね、
なんかめっちゃ頭良さそうな人が西洋占星術すごいって言ってたからです!!・・・浅はか?笑
医学、生化学、栄養学とか超科学的な分野を扱われている方々が、意外と占いと言われる分野を取り入れていらっしゃるということを知る機会がぽつぽつあったんです。
そういう方々は、本当の意味での人の心身の健康を追究していらっしゃり、とても胸を打たれました。
正直、今の医療って、現時点で科学的に証明されていることをマニュアル的に扱っているだけで、「病気の治療」はできても、「心身を健康にする」ことはできないんじゃないかと思ってます。
今の時点の私の考えでは、心身が健康になれば、発達障害は治るのではないかと思っています。
私が知っている範囲では西洋占星術に限らず、宿曜占術とか数秘術とか色々な占術を取り入れていらっしゃりましたね。
私は西洋占星術に一番興味を持ちました!!
自分と子どもについて知り、今の星の流れから受けやすい影響を知り、
まだまだ独学の範囲で十分に生かし切れてはいないですが、
今までとは違う視点を持って前進することができていると思います。
とはいえ西洋占星術って、
意味わからない 難しい!!
でも面白さもあるからこつこつ情報集めたりしてます。
子育てで行き詰っているなら、ホロスコープチャートで子どもの月星座、水星星座とアセンダントを調べ、そのサビアン度数を見ると子どもの本質を知る手掛かりになると思います。
トランスサタニアンのアスペクトも重要になってきます。
・・・ごめんなさい、意味わからないですよね。笑
自分のアウトプットのため、発達障害のこと以外に西洋占星術もブログに残していきたいと思っています!
息子の発達障害ですが、どうやったら改善するのか、治っていくのか答えは何となくわかってきました。
めっちゃ前にブログに書いたようにありふれた当たり前のことです。
目をよくみて話すとか、身体を使って自然の中で遊ぶとか。
でも病み病みの今の私ではそれは、とってもハードルが高いんです。
やるべきことがわかっていても、すべてが義務になり、べき思考になり、
子どもと過ごす時間が苦痛でしかない・・・
子どものために、親として私ができること、それは
私が自分の人生を生きること
これだけだと思います。
私が自分軸で生きれば無駄にエネルギーを消費せず、元気が出てくるはずなんですよね。
今は余計なことばっかり考えて、そこにエネルギー消耗して、子どもと向き合うエネルギーが残っていない。
情けない。
でも子どものためと思って、私が自分の人生を生きないと、いつまでたっても辛い。
私も息子も。
ミクロな視点で、発達とは、特性とは、とごちゃごちゃ考えて追及していくことも必要なことではあると思いますが、
マクロな視点で、私も息子も楽しかったらそれが一番だと、
思うことも大切だと最近考え始めました。
結局当たり前のことですが、難しい。
本当に自分が楽しいと思えることが何なのかわからない
気を紛らわすために上辺で楽しんだり、本当の自分から目をそらすために他のことに没頭したり、そういうことはできるんですけどね。
ブログ書いて、アウトプットできて、ちょっとすっきり!
もし最後まで読んでくださった方がいれば、ありがとうございました(^^)
発達障害がある子の育児って特別なことが必要?② ~特性をどうとらえ対応するのか
こんにちは~発達に遅れのある4歳息子育児中のゆまりです!
前回は我が家の育児で参考にしている情報とそれをもとに取り組んでいる育児の内容についてざっくり書いてみました。
この記事で挙げたのはモンテッソーリやシュタイナー等の幼児教育や保育論、脳科学、栄養学等です。
これらは発達障害の有無に関わらず、子育てに取り入れることができる情報や学問だと思います。
私の場合ですが、「この子は発達障害だから」と決めつけたり前提をもって子育てをするよりも、「人間とは」「子どもとは」「脳とは」「発達とは」といったそもそも論から学ぶと、我が子を偏った色のフィルターで見ることが少なくなりました。
私が参考にしている情報は全部そもそも論ですね。
そもそも論には、「それって発達障害や自閉症の特性とほぼ同じやん!」と思うようなことが結構のっていたりします。
程度や頻度、特性として現れる年齢や期間など、きちんと専門的にみると、定型発達とそうでない場合と違いがあるのは確かなのでしょうけど…。
何か変だなと思っていた息子の特性と思っていた部分、別にそんな特別なことじゃないのかも?というか当たり前のことなのかも?なんて思えてきたり。
その結果、息子の発達の遅れにフォーカスするのではなく、息子本人の困りごと、育児する上で母親である私(主人含め両親)の困りごと、幼稚園生活で先生やお友達との間で起こる困りごと、等と実際的に問題となっている部分をクリアに見ることができるようになったと思います。
そうすると、親があれやこれや心配していただけで本人がそこまで困っていなかったり、幼稚園で先生やお友達へも思っていたほど迷惑をかけているわけではないこともあるということに気づきました。
よく考えたら誰にも迷惑をかけずに成長発達していくなんて無理ですよね^^;
私の場合、必要以上に「この子は発達が遅れている」「みんなできていることができていない」「周りに迷惑をかけることが多いのではないか」と気負いすぎていたのですが、それは無意味だし、むしろそういう考えを捨てた方が効率的に問題へ対処していけるのではないかと思うようになりました。
とはいえ失敗したら切り替えができないとか、お友達に話しかけられても無視するとか、先生をおふざけでたたいたり蹴ったりするなど、問題行動はありますので、悩みは尽きないのですが。
息子が通っている幼稚園についてもいつか記事にしたいと思っているのですが、めちゃくちゃ素晴らしい園です!!
先ほど問題行動として挙げましたが、息子が先生を軽くではありますが叩いたり蹴ったりすることに対して、「小さい時にやり合うのがいいんですよ。もっとこいと思ってます。受け止めますから安心してください。」とおっしゃってくださってます。
先生は息子の発達が良い感じにすすんできているというとらえ方のようです。
暴力が良いとか、注意する必要がないとかそういうことではないですよ。
園によっては叩く蹴るとか喧嘩することを悪いものとして対応していることも少なくないのではないかと思いますし、私もそういったことは良くないものと考えていました。
伝えるのが難しいのですが、幼稚園の先生とのやりとりや、色々なそもそも論を学ぶうちに、そういったことも発達していくには必要なことなのだと思うようになりました。
少し話がそれましたが、色々な困りごとや問題に感じていることについて、そもそも論的な視点で考えてみると、「特性」というよりも「子どもらしさ」であることが多いような気がしています。
でもその「子どもらしさ」も年齢が上がって本来よりも遅れてきたり、いつまでも続いていたり、程度が強いと「特性」っぽく見えたり、実際「特性」になったりするのではないかと私は解釈しています。
「子どもらしさ」とは、例えばお母さんと離れられないとか、失敗したり思い通りにいかないと泣きわめくとか、大人から見たらどうでも良いことにこだわるとか、周りの状況に配慮できなくて自分が自分が状態になったり…色々ありますね。
そういうのって気が付いたら自然となくなっていたりするのですが、周りの子がどんどんそういった「子どもらしさ」がなくなっていっている時にでてきたりまだ続いていると目立ちますよね。
そしてその「子どもらしさ」以外の部分は年齢相応の部分も多かったりすると違和感があったり…発達の偏りや凹凸と表現される部分ですかね。
でもやっぱり「子どもらしさ」って特別なものではないと思うんです。
ではその特性とも捉えられ得る「子どもらしさ」にどう対応していくのか。
私はそのヒントを花風社という出版社から出ている発達障害に関する本と、民間で発達支援を行なわれているてらっこ塾の大久保さんのブログから得ています。
先に挙げているそもそも論にもヒントはあるのですが、やはり発達の遅れや偏りがあると、そもそも論から我が子に当てはめて見極めて対応するというのが難しい時もありますので。
「子どもらしさ」への対応を私なりの言葉で簡単に言うと、本人の気のすむまでやりきらせる、または「子どもらしさ」をやりきれない原因がないか探す、「子どもらしさ」の前の段階でやりきれていないことがないか探す、といった感じでしょうか。
正直私も完全に理解しきれていないので説明が難しいのですが( ;∀;)
私のブログは、花風社の本、てらっこ塾大久保さんのブログからの影響が強い内容になっていると思います。
花風社は「発達障害は治る」と表現されているので、「怪しい…それはないでしょ」なんて敬遠していた時期もあったのですが。笑
自閉症や発達障害だから…というレッテル貼りやフィルターを通してではない考え方と、自閉症や発達障害の辛い部分が治るためには、伸ばすためにはどうすべきかという知見がたくさん得られます。
長くなったのでまた次の記事で書いていこうと思います!
発達障害がある子の育児って特別なことが必要?
こんにちは!
発達に遅れのある4歳息子育児中のゆまりです(^^)
前回の記事では、発達に関する専門家であっても考え方やアドバイスが違い、また現時点での医療や福祉のスタンダードが固定的で必ずしも正しいとは限らないということ、だからこそ親として後悔しないよう、納得できる情報を選んで取り入れたいという内容をお話しました。
では我が家の場合、どういう情報を取り入れているかというと・・・
斎藤公子先生のさくらさくらんぼ保育
前頭葉を鍛える
右脳と左脳のバランスを整える
栄養論
こんな感じです。
この辺りもひとつひとつ記事したいなとおもいつつ…難しい( ;∀;)
そのような情報をもとに、実際に取り組んでいる育児の内容とは・・・
大好きなことを思う存分集中できる時間や環境を確保する
自然と触れ合う
自由に身体を思いっきり動かせる時間を作る
腕の力、全身のバランス感覚や協調運動等を鍛える遊びをする
手先を使う遊びやお手伝いをする
栄養のある食事と、規則正しい生活リズム
ざっくばらんに書き上げましたが、とってもありきたりなことです!!笑
発達に遅れがあるから、発達障害だから、といって育児が特別なものになるわけではないと私は思っています。
むしろ発達の遅れや凹凸があるからこそ、昔からよく言われているような、誰が聞いてもそうだよねと思うような、当たり前な育児をより意識して取り組むべきではないかと思っています。
先に挙げていた、なんちゃら教育とか脳がどうとかといったことも、本を読めば奥深くて難しく感じるものではありますが、
「自閉症や発達障害だからこういう行動をとるんだ、特性があるんだ、仕方ないんだ」
という視点ではなく
「子どもとは本来こういうものだよね、脳の発達はこうやってすすんでいくよね、だからこんな取り組みをすれば伸びるんじゃないかな。実際に伸びた子もいるよ。」
という感じです。ざっくりすぎ?笑
その「こんな取り組みをすれば伸びるんじゃないかな」の部分にはありきたりで当たり前な育児がたくさん含まれているのです。
ただ、ありきたりで当たり前の育児とはいえ、意識しないとできないことってたくさんあります。
時代の流れとともに子育ての在り方も変わってきているので、少し前まで当たり前だったことが、今では当たり前にできていなかったりもします。
おじいちゃんやおばあちゃん、親戚等たくさんの大人や子どもに囲まれてコミュニケーションをとる機会に恵まれていたとか、スマホやゲームがないかわりにたくさん外で遊んでいたとか、性能の良いおもちゃがないから自分でおもちゃとなるものを見つけ出したり、鬼ごっこやかくれんぼ等ルールのある遊びをする機会が多かったとか。
何事も変化していくものなので仕方がないことですが、子どもの発達にとって良い環境を整えるということは、親の責任として大きいものであると思っています。
私自身が子どもの時は、親と一緒に遊ぶというより、子ども同士で自然の中を勝手に遊びまわっていました。
正直、今自分が親となって、子どもと一緒に身体遊びや指先を使う遊びを意識して日常的にやるというのは、めんどくさいと感じることも多いです(+o+)!!
でも子どもの発達にとっては当たり前に必要なことなんです。
だから親としてやるんです!!
うちの場合は、子どもの発達に遅れがあることで、幼稚園での遊びに積極的に参加できないとか、失敗しそうなことはやりたがらない性格のため、自然と遊びの幅が狭くなってしまうんですよね。
ただでさえ発達が遅い息子が、小さな「できない」が積み重なって自信をなくしてしまわないように、子どもにとってありきたりで当たり前な遊びをしっかり堪能できるように、とも意識しています。
発達が遅い息子を育てる上で、特別なことではなくありきたりで当たり前なことだけど、意識して労力を注いでやるべきことがある。
それは親である私にしかできないことだと思っています。
もちろん手を抜けるところは抜き、頼れるところは頼りながらですが(^^)
頑張るぞー!!!
発達専門の医師に不信感を抱いたわけ(補足編)~専門家により考え方は違い、常識はシフトする~
発達に遅れのある息子をもつ主婦、ゆまりです。
我が子に発達の遅れがあることや、自閉症や発達障害の可能性があるという不安の中、親としてできることは何だろうかと悩み苦しんできた時期がありました。
その時期のできごとの一つとして、発達専門の医師とのやりとりについて記事にしています。
記事のタイトルや内容からして、私が専門家に対して批判的な考えであると伝わってしまうのではないかと思い、補足編として今回の記事を書こうと思います。
私は記事で綴ってきた通り、この時にお世話になった医師に対して不信感を抱きました。
こんなことを書くと、「専門家の意見を素直にきけないなんて非常識」「子どもが発達障害であることを受け入れられていない故の考え方」などと指摘されても不思議ではありません。
その指摘通りの部分も否定はできず、当時私が完全に常識的であり、子どもの全てを受容できていたかというとそうではなかったし、今もそうではないと思います。
親になり、自分の未熟さを日々痛感しています。
ただ、私がこの医師に対して不信感を抱いた背景には、他の専門家の方々からの意見と異なり、矛盾している部分が多かったということがあります。
息子は発達の遅れだけでなく、ご飯を食べないことによる発育不良がありました。
早急にこの問題を解決したいという思いで、私はとにかく色々なところへ相談へ行きました。
近所にある子育て支援センター、少し遠くの大型の子育て支援施設、地域の保健師さんや心理士さん、かかりつけの医師。
そして自宅での生活は私と息子との2人の時間が多かったのですが、色んな人の中で食事の雰囲気を味わった方が近道ではないかという考えから数か月実家へ帰省していました。
帰省先でも、食事についてや発育のフォローをしてくれる医師・言語聴覚士、子育て支援センター、ご近所さんから発達にとても詳しいと紹介してもらった保育園の先生など、とにかくたくさんのところへ相談へ行きました。
改めて書き出してみると、我ながら頑張った!と思う反面、どんだけ行くねんとあきれる気持ちも…笑
でも色んな所へ相談へ行って良かったと思っています。
当時は「みんな言うことが違う!何が正解なの?私はどうすればいいの?」と悩んでいました。
今振り返って思うことは、「専門家によって考え方は様々。だからこそ一人の専門家に言われたことを妄信することは正しいとは限らない。」ということ。
そして、「多くの知識と経験を持つ専門家ですら見解が異なる程、一人の人間の発達を見極めることは複雑で難解である。」ということ、
「子どもを見るとき、医療、福祉、保育等、色々な視点で見ることで異なる見解が得られることがある」ということ。
このご時世、ネットで検索すれば色んな情報が得られます。
上位にヒットするのは、現時点で一般的に言われている常識的な情報。
もっと細かく検索すれば、専門家が発信している最新の情報や書籍、発達障害当事者や発達障害をもつお母さんのブログ等たくさんでてきます。
自分が知識も経験もないことであれば、どうしても一般的、常識的な考え方が正しいと捉えてしまうと思います。
でも医学や科学は常に進歩していて、今の時点で正しいとされていることが変化することは珍しくありません。
我が子を何の先入観もなく、まっすぐに見た時と、「こういう特性がある」「能力に凹凸がある」「こういう傾向にある」と専門家に言われたフィルターを通してみた時と、印象が違うときはありませんか?
私はあります。
後者は現時点でいえば一般的で常識的な専門家の見解かもしれません。
でもこれまで書いてきたように、それが絶対的に正しい保証はありません。
そしてこれまでの子どもへの見解や対応が最善ではなかったと、後に医療や科学の進歩で分かったとしても、だれも責任は取ってくれません。
では親としてできることは何か。
それは自分で情報を選ぶということ。
素人が発達についてしっかり学ぼうと思ってもとても難しいですし、結局何が正しいのか判断することは不可能だと思います。
すでに専門家によって主張が異なるくらいなので、素人が何が正しいか判断するなんて無理です(*_*)
だから自分が納得できる、我が子にしっくりくる情報を選んで取り入れるのが良いと思います。
我が家ではどのような情報を取り入れているのか、また記事にしていこうと思います!
発達専門の医師に不信感を抱いたわけ③
だいぶ前に書いていた記事の続きです。
以前このことについて書いていた時、色々と書きたいこと、伝えたいことがあったはずなのですが…今あまり思い出せない!笑
3回目の診察で何を話したか覚えていない!笑
苦い思い出ではあるのですが、今となってはどうでもよくなってきている!笑
それだけ昇華できてきたということでしょうかね。
でもせっかく書き始めたテーマなので、当時の素直な気持ちと、今の考えと、2つの視点から書いていこうと思います。
我が家が発達の専門外来へお世話になることになったきっかけは、息子が1歳後半になっても母乳しか飲まずご飯を全く食べないことからでした。
1時間おきとか、1時間に数回という超頻回授乳をしていましたが、体重・身長の増えも悪く、貧血もあり鉄剤も飲んでいた状態。
このままだと鼻からチューブを入れて栄養を入れる必要もでてくるという話も出ていました。
チューブは入れずにご飯を食べてほしい!
その一心で、なにか食事に関するアドバイスが欲しいと発達専門の医師に期待を寄せていたのですが…
1回目の診察で具体的なアドバイスはありませんでした。
2回目の診察では1回目の診察でお話したことがなかったことかのように、違う方向性のことを言われました。
3回目の診察は…よく覚えていない。笑
でも発達検査で大体の事はわかるからとおっしゃられていたことは印象深く残っています。
こちらとしては必死も必死。
常に空腹で機嫌が悪い息子相手に、超頻回授乳の毎日。
発育不良、低栄養状態に対する不安と焦り。
医師は親身に話を聞いてくれたと思いますが、共感とか励ましではなくて、具体的な解決策が欲しかったのです。
ご飯をどうやって食べさせるのかという当時の最大の問題に対して、「どうやって食べるようになるかは子どもによる」「食べない子のお母さんは優しすぎることが多い」等という医師からの発言で、私は全責任が自分にあるように感じていました。
なので私が発達専門の医師に不信感を抱いた最大の理由は、
発達「専門」の医師なのに、相談している内容に対して「専門性」が感じられなかった
というところですかね。笑
結局食べさせることに関しては一時保育の保育士さんのおかげで解決していきました。
私は元看護師ということもあって、どこかで 医療>保育 といったイメージがあったと思います。
今思うと非常にお恥ずかしい。
だから「少しくらい無理やり食べさせても大丈夫だと思いますよ」という保育士さんの言うことよりも医師、保健師さん、心理士さんに言われることを重視してしまっていたんだと思います。
医療職者はより専門的な知識を持っていて、医療や福祉的なフォローが必要な子どもと関わる経験値としては保育士さんより高いと思います。
でも保育士さんは、日々の生活を子どもたちと共有しているので、子どもとはそもそもどういうものなのか、肌を通してよくご存じです。
接する子どもの人数や一緒に過ごす時間も医療職者よりも多いと思います。
遊ぶこと、食べること、寝ることに対するしつけはどうすべきか、またどう成長していくかもほぼ毎日見届けてくださいます。
息子は食べないことだけでなく発達の遅れもあったので、医師からすると、発達障害の子どもだから食べないのは仕方ない、スタンダードなやり方では通用しなくても仕方ない、といった感覚があったように思います。
これは医師とのやり取りの中で私が勝手に感じたことなので定かではないですが。
そして私自身も、この子は他の子と少し違うから慎重にやっていかないといけない、保育士さんに任せてしまうのは不安だ、と思っていました。
子どもを見るとき、色眼鏡をかけない、情報・知識などのフィルターを通さない、ということはとても大切だと思います。
「この子はこういう子だから」という決めつけは成長発達の機会を奪うことになる。
私はこの経験から、まず最初に頼るべき子どもの専門家は保育士さんであると学びました。
もちろん、発達の遅れや凹凸があれば医療や福祉の専門家に頼ることも必要ですけどね。
最初からより専門性の高いところへ相談すれば良いという訳ではないこともあるなと!
もちろん 一概には言えないですよ。
これはあくまでも私の経験上の話であって。
私とは逆に、保育士さんとのやり取りで上手くいかず、医療や福祉の専門家に救われた方だってたくさんいらっしゃるでしょうし!
色んなアドバイスがあるけれど、何を選び、実行するのか、そしてどういう結果が得られるのか、最終的に責任をとるのは親ですからね。
私の場合は、医療や福祉の専門家ではなく、まずは保育士さんや幼稚園の先生に相談しようと思う出来事が他にもありました。
また記事にしようと思います!
親としてできることは何なのか、考えさせられる毎日です。