いじめっこの今
いじめっことは私のこと…
怪我をさせるとか、面と向かって酷い言葉を浴びせるとか、そういう類のいじめではないけど、仲間外れみたいなことは中学生の時に何回かやった。
あとは小学校中学年の時に仲良かったグループがのちのやや不良?グループで、決してその子たちのせいにしたいわけではないけど、同じく仲間外れみたいなこともやった。し、あとは図工で作ったみんなの粘土の作品を放課後に壊したり、かわいい消しゴムを盗んだり…
鮮明に覚えているのは、粘土の作品は自分のものも壊したということ。
あまり罪悪感なく、わくわくする気持ちでやったということ。
こちらは記憶が曖昧だが、筆記用具を盗む事件は当時ちょこちょこ起こっていて、流行りに乗って同じくわくわくするような気持でやってしまったのだったはず。
このことは大人になってからも時々思い出しては、自分を嫌いになる材料にしている気がする。
消したい過去、思い出すと何とも表現しがたい負の感情に包まれている。
我ながら気持ち悪いw
何であんなことしてしまったんだろう、私の根っこは悪人なんだろうか?
今は善良な人のようにふるまって、社会や他人を批判的に見ていたりするけど、私にそんな資格あるのだろうか?
親との関係の拗らせが関係あるのだろうか?
色んなことに思いをはせるけど答えは分からず。
分からないのは当然だとして、腑に落ちないというか悶々として暗くなる。
私がやったことはどう考えても悪いことだけど、世の中にはもっと程度の高い悪いことをやったことのある人もいる。
そういう人は自分の過去を肯定したり、反省したり、忘れたり、時々思い出したり、どう過ごしているのだろう?
私は時々こういった過去の自分の悪行や失態を思い返しては消化不良の状態になる。
もう少し若いころはそんなことなくて、「だって」「周りもしていたし」「もっと酷いことをする人もいたし」「別の時にはあんな良いことしたし」と何やかんやと自分の内で決着していたのに。
人の親になって、その子が少し周りとは違って、色んなことの本質を見ようとしてきた。
そしたら自分の本質にある嫌なものがたくさん見えてきて…
そういうものに蓋をするように、ごまかすように、自分を高く評価していたところがあったかもしれない。
悔しいし悲しいし恥ずかしいし情けないけど、自分は今までの自分が思ってきたほど立派ではない。
今気づけて良かったと、自分を評価して一喜一憂する必要がない世界へ一歩踏み出したと、そう捉えてこれからの日常を大切にしようと思う。