子育てに必要なテクニック
またまた久しぶりのブログとなりました~
タイトルにある子育てに必要なテクニック・・・
こまごましたことはたくさんあると思います。
「子育て」で検索すれば、どんな声掛けや𠮟り・褒め方が良いだの、おすすめのおもちゃだの、部屋のレイアウトやら食事やら習い事やら、すごい情報量です。
こういうこと、大切ではないわけではない。
でも、私が感じる子育てに必要なテクニックとは、
不必要な情報をシャットアウトして、本能のままに子どもと接することができるか
ということです。
私自身、初めての子育てで、頭でっかちになって色んな情報を取り入れて、思考で判断して、より良い子育てを目指してきましたが、それは苦しみの多いものでした。
ちゃんと子どもの発達が伸びているか?
ちゃんと子どもが楽しそうにしているか?
ちゃんと自分は良い子育てができているか?
ちゃんと良い母親が務まっているか?
自分の中で勝手に作り上げられた価値基準をクリアできたときはそれなりの喜びや満足感は得られるものの、その基準に届いていなければ、もっと頑張らねば!と疲れきっている心身に鞭打って、さらに情報収集したり、あれやこれや新しいことを試してみたり・・・だいぶ忙しいですね。笑
そして怖いのが、その最中にいるときは、自分の異常さに気づけないんですよね。
色んな情報に振り回されて、半ば自分が現実逃避するための理想を含んで作り上げたような独りよがりな価値基準を正しいと信じて疑わない。
もう心も身体も疲れているのに、休んだりケアするという発想がない・・・もしくはうすうす疲れていると気づいているけど、一度休んでしまうともう立ち上がれないほどぐったりしてしまうような予感もしていて気付かないふりをしているとか、自分には休む価値がないというような思い込みが無意識下にはあるとか、時間が必要以上に有限に感じてしまったりとか。
えらいごちゃごちゃしてますな(;´・ω・)
現実は、我が子と一緒に過ごしているだけなのに。
そこに必要以上に意味付けしたり、価値を見出そうとするのは頭の中の作業で、現実とは全く違います。
子どもと一緒にいてイライラしたり不安になったりストレスを感じることは誰にでもあると思います。
でも時々、一人になってリフレッシュできたたあとに、子どもに再会したとき(それが30分ぶりだとしても)、我が子がとてもかわいくて、なんか変なこと言っててもおもしろくて笑えたり、なんか失敗してても冷静に受け止められたりすることがある経験もあると思います。
私が感じるのが、前者は不必要な情報が頭の中にいっぱいになっている状態で、後者が囚われの少ない本能のままに子どもを捉えられている状態。
動物の赤ちゃんや子育てしている母親を見ていると本能ってすごいなって思います。
誰に教えられたわけでもないのに、マニュアルを仕入れているわけでもないのに、厳しい環境でも生きていけるように育てることができる。
もちろん例外はあるとしても。
人間だって必要以上に情報を入れなくても、子育てできるはずと思います。
そもそも、いくら誰かが良いと言っている接し方をして、環境を用意しても、そこに母親自身の心が入っていなかったら、気持ちと言動が一致していなかったら、子どもは違和感を感じると思います。
そして何より母親自身の中で乖離が生じ、分裂し、壊れてしまう。
だからといって情報が多いことが悪、本能が善、と短絡的に捉えるのではなく、流動的にその時その時に良い塩梅でバランスをとっていければよいなと感じています。
私の場合、ずっと情報に飲まれて本能を殺して子育てしてきた期間がながかったので、しばらく本能優先で、適当に育児してみようと思います。
そこから、本能で育児するとこんなところはよくないななんて感じることもでてくるでしょうしね。
そんなこともまた記事に出来ればと思います!